2025年12月、インド・コルカタで行われたメッシ関連イベントが「ほとんど見えない」「滞在時間が短い」として炎上し、会場が混乱したというニュースが報じられました。
“世界的スターが来る”という期待の大きさに対して、現場の体験が追いつかず、不満が爆発した形です。
炎上の本質は「見える体験設計」の失敗。ただし暴力的な反応は行き過ぎ
まず結論から言うと、今回の騒動は運営側が「メッシを観客にどう見せるか」を設計しきれなかったことが大きいと思います。
一方で、座席を投げたり、ピッチに乱入したりといった暴力的な行動が広く起きているように見えた点には、率直に「いくらなんでも怒りすぎでは」と強い違和感を覚えました。
怒ること自体は理解できますが、怒りの表し方が破壊や暴力に向かうと、同じ観客や運営スタッフなど、別の被害者も生んでしまいます。ここは切り分けて考えるべきだと思います。
怒りの背景は理解できるが、暴徒化は別問題
怒る気持ちは分かる:人生で「あるかないか」の機会だった
インドでメッシを生で見られる機会は、ファンにとって本当に希少です。
「一目でいいから見たい」「この瞬間のためにチケットを買った」という人が多かったはずで、期待値は自然と上がります。
その期待が、当日に「ほぼ見えない」「思ったより早く終わった」という体験で裏切られたなら、感情が爆発するのは想像できます。
“怒りそのもの”の発生源は、かなり理解できます。
でも暴徒化は別問題:怒りと暴力は切り分けるべき
ただ、ニュース映像で見た限りでは、一部の人だけでなく、会場全体に近い規模で暴力的な行動が起きているように見えました。
返金要求や抗議までは分かりますが、破壊行為や乱入は、正当化できません。怒りが大きいほど、社会的にも本人たちの立場も一気に弱くなってしまいます。
何が失敗だったのか:運営の「見せ方(体験設計)」が弱かった
報道では、メッシの周囲にVIPや取り巻きのような人たちが集まり、遠くの観客は視界が遮られた、スクリーンでも満足に見られなかった、といった不満が出ていました。
ここで重要なのは、スターを呼べたかどうかではなく、スターを“全員に体験として届けられたか”です。
巨大スタジアムでは、観客が求める価値は「同じ空間にいる」だけでなく、
- 肉眼で“見えた”という実感
- スクリーンで“追えた”という納得
- 体験が“約束通りだった”という安心
この3つに集約されます。今回はここが崩れたことで、「対価が得られていない」という怒りに直結したのだと思います。
それでも運営だけが100%悪いとも言い切れない
正直、メッシ級のイベントを実施できるなら、運営会社も一定の信頼や実績があるはずです。そうでなければ、そもそも話が通らないからです。
それでも炎上したということは、運営の能力不足だけではなく、当日の警備・導線・契約上の制約・当局対応など、何か「そうせざるを得ない事情」があった可能性もあると感じます。
もちろん、事情があったとしても観客体験が崩れた事実は消えません。
ただ、単純に「運営が全部ダメだった」と断定して終えるより、なぜ現場が崩れたのか(制約と設計のどこで破綻したのか)まで掘るほうが、同じ事故を繰り返さないためには大事だと思います。
スターは人を熱狂させる。だからこそ扱いが難しい
今回のニュースで改めて実感したのは、アスリート一人が、人の感情と行動をここまで動かすという事実です。
今回は悪い方向に振れてしまったかもしれませんが、裏返せば、それだけスポーツには人を熱狂させる力があります。
そしてファンの中には、好きな選手や好きなクラブ、好きな競技を“生きるエネルギー”にしている人もいます。
スポーツは娯楽であると同時に、人の人生に深く刺さる文化でもある。時代が変わっても、きっとこれからも愛され続けるものだと感じました。
まとめ:スポーツの熱量が高いほど「体験設計」と「安全設計」が価値を決めます
今回の炎上は、「メッシが来た」という事実より、メッシを観客が“体験できたか”が価値の中心だったことを浮き彫りにしました。
そして熱量が高いほど、運営には次のような設計が求められます。
- 視界を遮らない導線(VIP動線の分離含む)
- スクリーン・中継の明確な運用(見える保証)
- 滞在時間・内容の透明な告知(期待値の調整)
- 不満が出たときの案内・返金・誘導(安全確保)
スポーツが人を動かす力を持つからこそ、スターイベントは「感動」も「混乱」も生み得る。その前提で、体験設計と安全設計を最優先に組み立てるべきだと思います。

